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「仏壇の佐正」8代目に聞く、伊達政宗公が建立した「定禅寺」の歴史

この江戸時代の地図に「定禅寺」があるでしょ。今の仙台市合同庁舎の敷地にあったんだ。定禅寺通は「定禅寺」という寺院に行くための参道だったということを知っていてほしくてね。歴史を知ることで、その土地の発展や衰退の理由も知ることができるからね。

-明治6年創業「仏壇の佐正」8代目社長 談


 

仙台市民のひとりとして、せんだいタウン情報machico編集部が今回お話をお聞きしたのは、仙台市役所の目の前に本店を構える 明治6年創業「仏壇の佐正」8代目社長 佐藤晶洋さん。
仙台だけでなく、全国の主要な土地の歴史や地理のお話もお聞き出来た先生の様な方でした。その知見を活かし、地元町内会である国分町三丁目友和会の会長や定禅寺通活性化検討会の副会長なども担っていらっしゃいます。
みなさんにとって、定禅寺通エリアはどんな場所ですか?どんな変化があるといいですか?みなさんが「こうなったらいいな」と思う定禅寺通エリアをイメージしながら、ご一読いただければと思います。

 

伊達政宗公が建立した、今は無き「定禅寺」

佐藤さんが部屋の奥から取り出したのは、とても貴重な古い地図。「なんで定禅寺通なのかを知ってから、これからの定禅寺通エリアの活性化を考えないとね」と言いながら、江戸時代から明治時代までの仙台の地図を広げて「定禅寺通」だけでなく仙台全体のこれまでの歴史をお話してくれました。

         貴重な品で在庫はないという「絵図・地図で見る仙台」                    

「定禅寺通はケヤキ並木が美しい杜の都仙台のシンボルとして認知されていますが、名称の由来は、定禅寺に行くための参道。戦国時代、伊達政宗によって祈願寺として定めたのが『定禅寺』です。今の仙台合同庁舎の場所にありました」

「京都御所の鬼門(避けなければならない北東の方角や場所)を比叡山(延暦寺)が守っていると考えられていました。そのため、仙台城の鬼門となる北東の方角に広瀬川の河岸段丘により高台となっている勾当台があったので、そこに位置していた定禅寺を祈願寺に定めたという歴史があります」

明治3年、定禅寺は火災で焼失。明治4年には廃藩置県で「仙台県」が置かれ、仙台藩が廃止されたことが影響し定禅寺は廃寺となりました。

「今は定禅寺通というと花京院周辺まで入っていますが、歴史をたどると定禅寺があった場所までが定禅寺通なんですよ」と佐藤さんは話します。

この日拝見した一番古い地図は江戸時代。そこには定禅寺が載っていました。江戸時代の地図はお侍さん用に幕府に提出する必要があったので、家の敷地ごとにその時代に住んでいたお侍さんの名前が入っていました。貴重な仙台の地図から、その時代の町の様子を感じ想像する楽しさも佐藤さんに教えていただきました。

 

他とは違った発展を遂げてきた仙台

「仙台は古いものを壊して新しいものを建て発展してきたという歴史があって、逆に、あまり発展しなかった都道府県には、古い県庁や歴史的な文化財が残っているんですよ」
ちなみに、東京は古いものを残し新しいものを建て発展させる、先見の明がある財閥が多かった為、今の姿があるのだそうです。

「昔は道路区切りで町名を付けていたので、すごい数の町名がありました。仙台は敷地の区画(ブロック)ごとに町名を変え、今の町の名前が作られました。京都は全く昔のままなので、今でもたくさんの町名があるんですよ」

昔は、町にも位があったそう。
「今の地名にも残っている「丁(読みは「ちょう」)」がついているのが侍屋敷で、「町(読みは「まち」)」がついているのが町人の町。東一番町は住所変更で変わったけれど、昔は東一番「丁」でした。城下には24の町人町があって、上位6つの大町 荒町 柳町 肴町 立町 南町は「御譜代町(ごふだいまち)」と呼ばれ、米沢から伊達家についてきた町人の町でした。7番目の位置づけだった国分町は言いやすいので今は『こくぶんちょう』と呼ばれていますが、本来は『こくぶんまち』だったんです」

私たちがいつも何気なく口にしている町名からも、いろんな仙台の歴史や住んでいた人たちのことも感じることができるのですね。

 

鉄道ができたときに時代が大きく変わり「町」も変わった

「大きな駅を建て鉄道を走らせる際、住民が既にいる栄えた土地に駅を建てることはできませんでした。そこで一番端っこで人がいなかった土地に建てるしかなかったので、今の場所に仙台駅が建てられたんです。鉄道ができたことで、今は仙台駅周辺が活性化してきました」

「経済はどの都道府県も駅を中心に活性化する。でも、駅から離れると廃れていっちゃう。仙台も同様。だから、昔の繁華街界隈だった定禅寺通エリアと仙台駅中心部を回遊させる必要がありますね。定禅寺通活性化検討会では、これまで話したような歴史と町の変化も踏まえながら活性化を考えるべきだと伝えています」

 

活性化に必要なのは、目的と総合的な段取り

あらゆる土地の発展の歴史についても詳しい佐藤さんに、定禅寺通エリアが模範とすべきエリアをお聞きしました。
「福岡の博多や大阪の御堂筋、札幌の駅前通は、参考にすべきだと検討会でも話されています。エリアマネジメント組織ができているということが特徴的。今後は、仙台も音頭を取ることができる株式会社や一般社団法人などの民間の組織が必要だと思いますね」

「協力体制を強化し、収益が生まれる仕組みを作り、まちづくりに還元することを目的とした総合的な段取りも重要ですね。仙台で開催される複数ある大きなイベントも一体の組織となって一緒に取り組むことができればいいと思うんだよね。点に目が行きがちでいろいろ意見はあっても、皆で同じ目的を持って進んでいかないと」そう話されていました。

明治45年の地図を広げると、創業が明治6年の「仏壇の佐正」が載っていました。定禅寺通エリアで代々続くお店の8代目の言葉は、長い歴史上の先人が私たちに問いかけ導いてくれているようでした。